読むことについて
前の3回の投稿で、書くことについて色々と勝手なことを言ってきた。その投稿を読んでもらえたなら、どういうつもりでこうやってブログを書いているかも理解してくれるかもしれない。
「書くこと」について語るにはほどほど足りないというのは分っているけれど、ここで一旦流れを変えて、今回は「読むこと」について書いていこうと思う。
ただ、この「読むこと」について語るっていうのは、どうやら「書くこと」以上に困難なのかもしれない。自分でしっかりと考えると、どれだけ読むことを軽んじていたということから目をそらさずにはいられないからだ。
そう、だいたい俺も同世代の他のひとたちも「読むこと」についての考えが、あんまりにもダメダメなのだ。それは誰のせいとかじゃなくて、時代の流れや環境というのも大きいのだと思う。
小説って、すごく安いんです。だから売れないんです。矛盾してる? ハリウッド映画みたいに制作費に何億ドルもかかったり、絶対しないんです。映画はそうやって膨大な制作費をかけて、二時間やそこらしか楽しめない。でもそれって結局お金が回ることだからokなんです。アニメにしたってそう、特に最近のアニメなんかは同じような内容でも絵柄やディティール(いわゆる「属性」ってやつ)を変えていけば売れ続けるわけですから、経済的にはすごい優秀な娯楽なんです。それに比べて小説ってのは、もともと消費社会との相性が悪い娯楽なので、そりゃあ低迷してても当たり前だと思います。そういう意味じゃあ映画だって「見る」映画は死にかけな気もしますけどね。「見せられる」映画ばっかりで。
そういう環境なので、小説を読めない人ばっかりになっても当然でしょう。俺だって、小説なんて、読めやしないんです。そこが問題なんですけどね。
「夏草や 兵どもが 夢の跡」 (松尾芭蕉)
たぶんね、大恐慌とかで世界中が余裕がなくなったら、やたらいい小説とか出てくるよ。バカバカしい映画なんて作ってる余裕なくなるから。むかしは貧乏だったから、すごい作家とか詩人がたくさんいたんだろうね。